イエス・キリスト   ACIMとは   目次 
イエスキリスト著作のACIM(奇跡講座/奇跡のコース)解説など

イエス・キリストが明かす

欠乏からの脱出法


Raj Gathering質問者:実は、僕の質問は自分の経済状態についてです。

ラージュ(=イエス・キリスト):もしかして本当は欠乏についてではないだろうね。

質問者:ええ、その通りです。経済状態や欠乏、それに...

ラージュ:経済状態と欠乏とは、同じように経験されることにもかかわらず、同一ことではないね、、、話し続けろ。

質問者:はい、質問したいことがうまく表現できる自信はないんですけど。

ラージュ:表現が完璧でなくてもいいんだよ。

質問者:それでは、安楽な生活を過ごしたいんですが、そのためには、とぎれない金銭的な供給が必要です。しかし時々、僕の供給が閉塞されているという気がします。この閉塞の正体がなかなか理解できません。どうなっているのか教えていただけませんか。

ラージュ:あの閉塞をもたらしているのは、あなたは自分が充足の供給を受けるに値しないという信念を抱えていることだ。ただの感じではなく、信念だ。

あなたたち一人一人に言うが、どれほどの供給を経験しているだろうか。それは自分が受けるに値すると信じ込んでいる程度だけ。

わたしの先ほど説いたことについて振り返る必要がある。つまり、あなたは、ちょうど今の瞬間には、実際は、天国に居る、すなわち実相世界の只中に居る。そしてあなたの実態は、神の心から切り離され得ない、分離され得ない実相意識そのものだということだ。

イエス・キリストの引用


神の実態は、固定した物ではなく、絶えず運動中のものだ。つまり神は運動そのものだ。そしてあなたの実態も同じく運動だ。神の心の運動は創造の運動そのものだ。

この創造の運動は充足の運動を構成している。

で、「あなた」という運動は、「神」という運動と同一の運動なので、「神」という運動から分離され得ない。だから「神」という運動が含むすべては、「あなた」という運動にもある。

要するに神は、何から何まで出し惜しまずにあなたに与えたということになる。

イエス・キリストの引用


こういうわけで、限りのない充足を経験することは、あなたの本性で生得権、すなわち生まれながら持つ当然の権利なのだ。

つまり、あなたの実態は、神の運動そのものなので、あなたの無限大のうち、手に入れられないものは何一つない。

それはゆるぎない事実。

そのことを事実として受け入れ始めるがよい。そしてそのことの中へもたれればよい。いや、「もたれればよい」というよりも、「屈すればよい」と言った方がいい。

で、そのことに屈するのには、どうすればいいのか。

それは自分の充足があり得るものとして受け入れることだ。その上、充足を持ていない理由や持つべきでない理由などを一つ一つ挙げて議論するのを止めるということだ。

あなたは充足を持つにふさわしいじゃないか。充足というのは、努力した報酬として得るようなものではなく、あなたの生得権じゃないか。充足が現れないとき、それがただ意識的に無視されているだけだ。充足は、本当は、いつもある、あなたの切り離されない一部分じゃないか。

ところが、あなたは自分の充足を積極的に無視しているよ。それが習い性となっている。

では、この習い性をどうやって乗り越えるだろうか。

それは別の意識的行動をとることによってではなく、むしろあえて静止して静かになるということによって乗り越えることだ。

つまり瞑想するということだ。

すなわち「あなた」という運動の静けさの中への入り方を覚えるということだ。その静けさは、瞑想している間に経験できる「あなたの中心にある場所」なんだ。

イエス・キリストの引用


瞑想してあの静けさの中で平静になれば、あなたは自分の本性を直に経験している場所に移ったことになる。そのことはあなたたち一人一人が必ず知らなければならないことだ。

そこにある平安は、あなたの実態である運動が意識的に経験されているものだ。

あなたたちの大多数にとっては、この平安は、自分の本質を初めて直に意識的に経験しているものだ。ただの在り来たりの精神的な経験ではない。この平安は自分の実相に触れていることだ。

自分の実相に対して無防備になることによって経験できるのだ。

こうして無防備になるのには、瞑想することによってエゴの表面上の反動レベルを抜け出すことだ。そうしたらあの平安を自分で感じ始めるはず。

この平安は、「至福意識」と呼ばれることもあるが、まさしく素晴らしい。

麻薬などによる単なる変容された精神状態ではない。変容された精神状態とは違うんだ。変容されるのは、あなたの現在の精神状態の方だ。

あなたたちは、森羅万象に対してゆがんだ経験をしている。この経験こそ変容された経験で、変容された意識だ。

エゴというのは変容された意識状態なのだ。

エゴの表面上の反動レベルを抜け出して、平安と空虚であるあなたの中心部に沈むと、どんなことになるだろうか。それは明瞭さの初めての経験の一つに入ることになる。




ところが、その中心部に沈むと、「オー、ここががらんとしているじゃないか」とかあなたは言うだろう。「すっかりした平安はあるかもしれんが、何も行われていないじゃないか、どこが明瞭さかよ」ともぶつぶつ言うかもしれない。

それでもわたしはあなたたちに約束する。

静止して静かになり、びくともしない平安であるあの空虚と黒みの経験に注意を払いなさい。学問的な態度をとらずに、好奇心を持ちながらそっと注意を払うんだぞ。そうしたら、あたかもぎらぎら照り付けている日光から薄暗い部屋に入ったときのような状態になる。

というと、部屋に入った途端には何も見えないにしても、目が部屋の中の明るさに慣れると、物が見えるようになるということだ。

瞑想の静けさは、精神的知覚と違った日常の意識的経験だけでもなく、精神的知覚より心地よい日常の意識的経験だけでもなく、ただものではない。

だからこの静けさをそのような軽い気持ちで扱ってはならない。その静けさを自分の実相の姿を直に経験していることとして受け取りなさい。その上、先ほど勧めたように、そこにある無意味らしいものに対して、好奇心を持ちながらそっと注意を払いなさい。

そうしたら意味が現れてくるはずだ。

言っておくけど、天国に入る条件は、努力が少しもあってはならないということだ。

ところで、この話は、あなたの経済状態とは何の関係があるのかね。

関係はこうだ。自分の運動の静けさに自分が入り込むじゃないか。その上、その静けさのことがその運動の直に経験されていることだと分かるようになるじゃないか。そうすると緊張が自然に解け始めるのだ。

これは、肉体的な意味だけではなく、すべての仮面も脱がれ、自己防衛もおろされる。

イエス・キリストの引用


で、自己防衛が解け始める途端に、自分の無限大をせき止めていたものが緩め、充足がどっと流れ込む。この現象は、自分が引き寄せるようなものではなく、かえってそれを抑えていたものが抑えなくなるから起こることだ。

緊張をほぐしながら、自分の裕福が自分を満たしに入ってくるのを、そして自分の生活に現れてくるのを許してやるようにすればよい。

裕福を努力の報酬として受けるべきだと言っているのではない。こう勧めているのは、あなたは無限大そのものであり、すべての意識的経験の含まれている意識的自覚そのものだからだ。

すべての意識的経験はあなたの意識的自覚の中で行われているのだ。

ところで、あなたは、霊力で意識的に裕福を現したり作り上げたりしようとしていたじゃないか。あのような行為は、かえって自分が裕福を持っていないと声明していることになっている。その結果、不足の事実性が支えられてしまい、不足が実現されてしまう。

イエス・キリストの引用


わたしが勧めているのは、あなたが自分の裕福に対して無防備になるということだ。

意識的にも、知的にも、持っていないということをもっともだという根拠をつくるのを止めなさい。

「仕事でこれっぽっちの収入しかない」や「出費はこれほどもある」、「遺産を受ける見込みがない」等の理由で、自分の見掛けの不足を抱えざるを得ないと、あなたは言いつづけてきたじゃないか。このように自分の不足をもっともだという根拠をつくってきた。

だからこんなことを言うのを止めなさい。

より多く持つためにはからなくてもいい。より多く持つということに対して、ただ無防備になればいいんだよ。

神である父の喜びは、あなたに天国を与えるということだ。天国は父の存在のすべてだ。実際は、天国という賜物は既にあなたに与えてある。

あなたが天国を経験していないならば、あなたはその経験に対して自分を防衛している、すなわち天国を持つことがもっともでないという信念をもって反抗しているということになっている。

だからわたしの今説いたことを心に留めてほしい。その上、特にやってほしいことがもう一つある。

それは最近は、数多くの人々は、意識的な念力を巧みに使うという形而上学的または霊力的な方法で裕福を引き寄せたり作り上げたりしようとするようになってきた。しかし、わたしが勧めているのは、そのような方法ではなく、むしろあなたが裕福に対して無防備になる、すなわち裕福に屈するということだ。

あなたたち一人一人に、自分の裕福に屈するということを心に留めてほしい。




オーストラリア国サウスポート市
1989年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.04.16
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
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「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエス・キリスト明かす「欠乏からの脱出法」