イエス・キリスト   ACIMとは   目次 
イエスキリスト著作のACIM(奇跡講座/奇跡のコース)解説など

イエス・キリストが明かす

充足の宝庫を開けるカギ

Raj Gathering
質問者:あたしは家族がほしい、また性的な面でも心の通じ合う愛情の相手がほしいのに、なかなか得られません。お金もなかなか儲けられません。何が妨げているのか知りたいと思いますけど。

ラージュ(=イエス・キリスト):正面切って言うけど、妨げは、それらを得る権利があなたにないという思い込みだ。

自分が常に持っているものは、自分が正当化できる程度、すなわち自分がもっともだという根拠をつくっておいた程度だ。きっかりだ。ものを持つのを正当化する瞬間には、それを持つようになるのだ。

正当化するかしないかは、習い性によって決まるものだ。

イエス・キリストの引用


人は充足を経験する権利があるということを否定すると、その充足を苦労の報酬して見なしてしまうものだ。しかしわたしが明かすのは、充足を経験することは、あなたたち一人一人の生まれながらに持つ権利、つまり生得権だということだ。

持って当然のものを得るために骨折りしなきゃならないという倫理にはめられなくてもいいんだよ。自分の生得権である充足は、自分が行動する前からも、策を考え出す前からも、揺るぎ無い事実なのだ。

悟りを経験するために、正しい考えを考えなきゃならないと思っているか。また自分の充足を得るために、特定のことをやらなきゃならないと思っているか。そう思っていれば、あなたの取り組み方は虚偽の前提に基づいている。

虚偽の前提から出されるものは、虚偽の結末しかない。虚偽の結末は、満足のいく喜ばしい充足を構成することはあり得ない。

イエス・キリストの引用


とっくりと受け入れてほしいことは、あなたの存在という運動は、おのずから、自分自身をぎっちり充足するものだ。それがその存在の本性そのものなのだ。

実に簡単なことだ。

わたしがそれを何度も繰り返して言うことだけど、そうしなければその完全な意味が身に染みないのだ。あなたたちも、更に自分たちに再三再四言い聞かせなきゃならない。

その言葉に親しまなきゃならない。その考えになじまなきゃならない。そうしたら、その考えに伴う感情が増加し、目からうろこが落ち、自分が正当化できる範囲からはみ出すものを持たせない習い性が弱るということになる。

そう、自分の存在という運動の目的がおのずから自分自身をぎっちり充足することだ。

しかもそれを成し遂げるために、その存在には無限の資源が宿っている。このことを自分に言い聞かせなさい。そうしたら自分の正当化できる範囲がもっと早く広がるのだ。

では、これを言い聞かせているうちに、反論がじゃんじゃん浮かんでくるのに気付く。

収入を増やせない理由も浮かんでくるはずだ。「わたしの経歴が不適切じゃないか。」「わたしの技能は対象の分野と無関係だ。」「この地域には需要がない。しかも適切な地域に引っ越すためのお金がない。」などなどと。

こうして自分の思索は面倒を起こしてしまう。

イエス・キリストの引用


しかし、自分の存在という運動は、それ自体を充足するすために、すなわちあなたを充足するために、無限の資源を帯びている。地理的な位置にも経済状況にも制限されていない。あなたが居る場所どこにでも、あなたの必要に応じて第四次元から物事を引き出し、現れるようにしているのだ。

反論が浮かんでくるたびに、それがどうしていつわりなのが理解できなくても、それを観察し、きっぱりとはねつける心構えをとるがいい。

こうした反論は習い性だ。言い替えればあなたの充足が現れるのをせき止めている構造物なのだ。

あなたはそれらの反論を信じる限り、それらを維持し続けることになる。その結果、あなたの経験は、絶対に喜びと満足と意味の完全な展開にはならない。かえって葛藤とゆがみと不調和のはびこるものになる。




では、大切でまじめな交際を結び、家族を作り、いつも経済的にもますます増える充足を経験することを望むがいい。もっとも、これを引き起こすのには、あなたのちっぽけなエゴが何らかの役割があると思い込むのは間違いだ。

単純な願望を持ちなさい。自分の存在がその願望をどのように展開するか強い好奇心を持ちなさい。

これでちっぽけなあなたが責任から解放されることになる。しかも、願望が展開される前にどのように展開されるか、あなたは知らなくてもいいという立場に立つことができるようになる。

物事がどのように展開されるか、展開される前にあなたが理解しなきゃならないという思い込みは、充足をせき止めているもう一つの構造物だ。あなたの存在という運動は、一瞬一瞬いつも、万全な充足を用いながら、既に完全無欠に働いている。これは事実だ。

しかし、せき止めている構造物のせいで、この事実が見えない。

イエス・キリストの引用


考えることで天国に入ることは絶対にない。あなたは既に天国に居るのだ。天国を受け入れるために、十分に静かに、また十分に無防備にならなきゃならない。それゆえ無条件の愛が解決なのだ。《翻訳者注)「無条件の愛」に関する別の答えへの言及。》

はっきり言わせてもらいたいことがある。

今週末にここまでわたしが説いたことの中には、抽象的なこと、またはあいまいなこと、または哲学的なことは、何一つなかったということだ。何もかも急所をずばずばと突いていた。

では、今この瞬間で行われている天国、つまり実相の現実を知覚させないのは、あなたの習い性だと説いた。だとすれば、何に取り組めばいいだろう。それはあなたの中で行われていること、すなわちあなたの考え方と習い性だ。そして習い性となったパターンを思い切って避ける心構えをとる必要性だ。

なぜなら、考え方と習い性は、現象界である三次元であなたが経験することとの相関関係を生じているからだ。




車で繁華な町に入れば、行く先のまん前に駐車場所を必ず見つける人たちがいるじゃないか。彼らにとってはそれが当然だ。自分たちの充足があれほど正確になるのを期待しているのだ。

駐車場所があるようにむりやりさせようとしないで、ただ信じているだけだ。考え抜いた末の結論であろうとなかろうと、すべてのことにはそれほどの完全性があるということを受け入れている。充足をあれほどどんぴしゃりと現われてくるのを許している。

そしたら充足がそこに現われるのだ。

一方、駐車場所をどうしても見つけられない人たちもいる。彼らは、行く先の向こうの道に駐車することにしている。そこでも見つけられないこともある。

あなたたちは、ある惑星の表面で、生存するために、血を吐く思いで圧倒的な困難を乗り越えようとしているちっぽけな有限生物ではない。

エゴがそのように見ているのは、エゴは、事実に基づく根拠のない、あなた自身だと偽る模造された知覚にすぎないからだ。だから実相の現実によって絶えず脅かされ、分解されている。そのためにいつもびくびくしながら防備を固めている。

しかもあきれることに、天国の只中でやっている。愚の骨頂だよ。

イエス・キリストの引用


自分の存在が充足の運動そのものだということを、あえて受け入れるがいい。自分の個人性のすべては、生命の本源である神の運動でできている。ゆえに自分の存在は創造の運動だ。

神の運動は創造を行っている生命の本源の完全な表現だ。言い替えれば神の運動は、創造の絶え間ない、充足を構成する活動だ。

だから自分の思索を忘れろ。自分が信じ込んでいる内容を忘れろ。自分の存在という運動が一体どうやって遣って退けるだろうか。それを見届けるよう、思い切って防備を下ろしてみろ。

先ほど説いたように、充足の経験を妨げている唯一のものは、自分は持っているものを正当化できるが、それより多く持つことを正当化できないということだ。だから好奇心を持て。探究心を持て。注意して見詰めろ。楽観的になれ。




カリフォルニア州モンテレー市
1986年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2013.05.28
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
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「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエス・キリストが明かす「充足を解き放つカギ」