イエス・キリスト   ACIMとは   目次 
イエスキリスト著作のACIM(奇跡講座/奇跡のコース)解説など

イエス・キリストが明かす

ふさがれた充足を解き放す
マスターキー

Raj Gathering
質問者:わたしは自分の経済状態について前々から不安におののいています。自分の両親もそうでした。自分の仕事もこの煽りを食っています。コントロールを手放したいのですが、どうすればいいでしょうか。洞察とガイダンスをいただきたいのです。《質問の要約》

ラージュ(=イエス・キリスト):先ずは、あなたの妄念は、前々からあったとしても、あなただけのものだ。ご両親とは無関係だ。ご両親の妄念はご両親だけのものだった。あなたは屁理屈で自分の妄念をご両親と関連付けている。これによって自分の妄念を更に膨らませているので、止める必要がある。

では、以前にも何回も言ったことなんだけど、苦しみの原因となる唯一の無知は、現在の無知だ。ゆえに古い無知はない。要するに無知は自分がそれにふけっている瞬間に生じるものだ。

そのことに気付ければ、無知を捨てることは、前々からあったと信じ込んでいる場合に比べては、やり難くないように感じるはずだ。

妄想は妄想なのだ。どれほど古くからあったとしても、現実になるはずがない。

あなたが知らなければならないのは、あなたの妄想、つまりあなたの無知は、現在のものだ。しかもあなたの居る瞬間に、あなたによって活性化されているものだ。それゆえ妄想にはあなたが思っているほどの実質がない。だから妄想を捨て去ること、すなわち手放すことは、思っているほど難しくない。

さて、問題はあなたが幸せをお金に結び付けているということだ。要するにあなたは幸福の経験を経済状態の安定度に結び付けている。

イエス・キリストの引用


あなたはお金がいくら多くても少なくてもあえて幸せになっている間抜になってみるといい。不思議なことになるよ。

命令を出しているのはあなただ。あなたは次のことを言っている。

「わたしは自分の喜びの経験を遮断する。銀行口座の残高がこれほどの金額に達するまで、またはこれほどの収入を伴う職に就くまで、確固たる安定の経験を遮断する。条件を満たしてから、コントロールを手放し、自分の幸せと安定感を自分の経験の意識レベルに浮かべさせる」

これじゃ順序があべこべだ。自分の幸せを物すなわちお金の有無次第にしているじゃないか。

しかし静かになることによってあえて自分の穏やかさを経験すれば、どうなるだろう。自分は確固たる不変の安定に実際につながっていることが分かってくるものだ。それが核心を衝く事実なのだ。

玄関に札束がぱっと現われなくても、難攻不落の大船に乗ったような気分になるよ。




自分の完全性を経験することになるので自分の喜びを感じることにもなる。わたしはこれをあたかも物質的な経験のように表現している。これは実際の経験、すなわちあなたの分裂されていない完全性の実際の経験なのだ。

勇気を出してこれを経験するならば、順序のあべこべが解消される。

静かになった境地にととどまろうと意地を張れば、どうなるだろう。またあなたの外側からの「やってもいい」という言葉を受け入れ、よし、自分が経験していない喜びと安らぎと安定を感じようと意地を張れば、どうなるだろう。答えは、その安定および喜びのあかしとなるものが身の辺りに現られ始めるものだ。

喜びを先に経験すれば、そのあかしとなるものが自然に手に入るものだ。

感謝の気持ちを引き起こす事実が現われる前に、その感謝の気持ちを現す必要がある。あなたはそれができるようにならなければならない。

その喜びは自分の存在という運動の不可欠な要素だ。そのあかしとなるものが出現する前に、その喜びを自分に経験させてやらなければならない。

自分の解放はここにあるのだ。お金を持つことにあるのではない。

完全性は完全なので何物にも依存しない。ゆえに、あなたは自分の完全性の経験に抵抗していなければ、また自分の完全性と調和していれば、その完全性の充足を構成するすべてのものは現われるのだ。解放はそれを知ることにある。

もっとも、「現われる」というよりも、「明るみに出る」と言った方がいい。と言うのは自分の目が開かれるので、いつも活動中の充足が目に見えてくる。

人生にはものが果てしなく現われてくるのだが、あなたはそういうものに依存する羽目がなくなる。なぜなら、充足を支配する要因が明るみに出てくるからだ。その要因とは、現われてくるものではなく、自分の完全性をどうしても経験しようという決意のことだ。

エゴはおのずから状況をコントロールしようとしているので、この法則に反抗するものだ。

だから幸せを実現するための行動を起こしている。それによって実現される幸せをみずからの手柄にするのが好きなんだ。

しかしその喜びはあなたの生得権、すなわち生まれながらに持つ権利だ。その安定もあなたの生得権だ。

それを手にするために何もしなくてもいい。もっともその経験を迎え入れる必要はある。

イエス・キリストの引用


言っておくけど、自分の充足に屈すればいい。それで自分にその充足を経験させてやることになる。この経験では、解放と喜びと完全性を感じ、充足に屈することがカギだと分かってくる。それで充足を自分の手柄にすることができるかできないかは、全く無意味になるのだ。

エコはあなたを罠に掛けるために次のことを言う。

「充足を自分の手柄にすることができなければ、自分は責任を持って行動をしていなかったことになる。自分が相続したものに屈するとすれば、充足の経験に責任が持てるはずがないので、無責任に行動することになるのだ」

あなたは責任を持って行動していなければ、甚だしい後ろめたさを感じるように条件付けられている。

責任を快く手放しなさい。

充足を自分の手柄にしようとすることを快く手放しなさい。

安らぎと喜びの経験はいつもアクセス可能だ。この経験の中に自分を入らせなさい。

この安らぎと喜びを感じなさい。

その中にとどまりながら行動しなさい。

そうしたら、自分の世界が再構成され、自分の必要なものがどれもこれも充足として実用的に現われ始めるものだ。この展開を見届けなさい。

そうしたら多量の金を二度と頼むことはない。かえって自分の中心部にとどまろうと意地を張るはずだ。




ところでポール君《P・タトル氏》も同じ体験を経てきた。

金儲けになるとても良いアイデアを思い付いたことは時々あった。思い付いたたびに、そのアイデアについてアドバイスをわたしに頼んだものだ。わたしはいつも次ぎのことを答えた。

「収入は自分が自分の中心部にとどまることによって生じるものだ」

それに対してポール君はいつも次ぎの意義を唱えた。

「聞かせてもらいたいのは、もっと実用的なアドバイス」

それでわたしは答えてやったことは、ただの哲学ではなく、急所を衝くアドバイスだと言い張った。なのにポール君は一日二日の間中議論し続けたものだ。それでもわたしは同じことを再三再四言い通していた。

「収入は自分が自分の中心部にとどまることによって生じるものだ」

ポール君は、わたしの答えが変わらないと分かれば、議論するのをあきらめ、自分の中心部の中に沈むことにしてみた。

そうしたら電話が鳴るようになった。それで「なるほど」と言った。

しかし3ヶ月経つと、またまた妙案を思い付いた。でもわたしは前と同じアドバイスを言い通していた。

「収入は自分が自分の中心部にとどまることによって生じるものだ」

ポール君はついに得心し、妙案を思い付かなくなった。

わたしが言っているのは、フワフワした形而上の思索でもなく、急所をぐさっと衝く真理だ。

あなたが欲しがっているのは解放だ。お金ではないのだ。

イエス・キリストの引用


結果を操るつまらない場所で時間を無駄にするべきではない。解放を自分のものにする場所を知らなければならない。唯一の原因はあなたの中にある神の存在だ。この存在はあなたの「個人性」と呼ばれている。あなたはこの場所へ移り、その運動に身を任せるべきだ。

試しにやってみるがいい。気に入るぜ。



マニトバ州ウィニペグ市
1987年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.06.30
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
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「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
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「イエス・キリストは語る」
イエス・キリストが明かす「ふさがれた充足を解き放すマスターキー」