イエス・キリスト   ACIMとは   目次 
イエスキリスト著作のACIM(奇跡講座/奇跡のコース)解説など

イエス・キリストが説く

金(かね)

Raj Gathering
質問者:あたしの質問はACIMで言う「細長い紙切れと小型の金属円盤」についてです。子供のころ、金に対する姿勢が主に二つ教えられました。一つは、たんまりとため込むべきだということでした。もう一つは、金に飽かすべきだということでした。あたしはどちらも受け入れなかった結果、金不足になり、八方塞ふさがりの状態に陥ってしまいまた。個人的な面でも、世界的な面でも、経済のことをどのように理解すればいいでしょうか。

ラージュ(=イエス・キリスト):金というのは、充足の不可欠な要素として見なされるべきものだ。充足を獲得する手段としてではなく、充足の運動の不可欠な要素としてだ。

言い換えれば、わたしが以前にも説いたように、すべてのアイデアには、それ自体の充足のために必要なものが何から何まで含まれている。金が含まれている場合がある。部品や材料などの供給が含まれている場合もある。

では、あなたを金の束縛から解放するものは何だろう。

それは金が充足の過程の不可欠な要素だという意識だ。言い換えれば、すべてのアイデアにはそれ自体の充足のために必要なものが何から何まで含まれているのなら、金はその充足の一部として、おのずから登場するものだ。

ゆえにあなたはあえてそうなるように許せばいい。

これなら、金は、価値のあるアイデアを浮かべる状況を作り出すためにあらかじめ貯めておくものとして登場するのではない。むしろ充足の一部として登場するのだ。




勇気を出して、聡明なアイデア、すなわち自分の内部で聞いていた結果で展開されるアイデアを心に抱く瞬間には、何が起こるだろう。

あなたはそのアイデアの邪魔にならないように、どの適切な方法でもそれを円滑に展開させるために待機するならば、次のことが分かってくる。そのアイデアがみずから展開するにつれて、またそのアイデアの目的が展開するにつれて、そのアイデアが充足されるために、金を含めての必要なものはばっちり揃うということだ。

イエス・キリストの引用


ここでわたしが伝えようとしているのは、金は単独で存在することがあり得ないということだ。必ず目的の充足と結び付けられているものだ。

やるべきことは何だろうか。

皆がやっているように金をため込もうとすることだろうか。そうではなく、実相存在という運動が充足を現そうと展開させている適切なアイデアに注意を払うことだ。このアイデアは個人的な立場でも不変的な立場でも展開するものだ。

金のことを気にしないでアイデアに従事する勇気がある人には、金が…《数秒間音が途切れた》…ということが分かる。しかも金に関する不安が去り、金に関する価値判断が手放されるということが分かる。

そうしたらどうなるだろう。

人々は、幸せの経験に不可欠なアイデアを発見するために内部で真剣に聞こうとするようになる。

「僕はなすすべがないのでこのアイデアに注意を払う意味がない」等と言わなくなる。「アイデアが浮かんできたとしてもなすすべがないんだから、それについて考えるだけでも時間の無駄だ」とも言わない。このように、聞こうとしない心構えがなくなるのだ。

わたしが指摘した通りに充足の過程が起こり、人々はこれが起こっているところを確認する。ゆえに必要なものが手に入らないかという恐れは起こらない。必要に対する充足が現れるのだ。人々はこれを確認するので、不足の心配は持ち上がらなくなる。




アイデアの実現に向けての金策を考え出す必要がないということが分かってくる。だから自分の内部で耳を傾けることが楽しくなる。また大切なアイデアをあえて重んじることができるようになることも楽しくなる。

必要な金が用意できるまで、アイデアをお預けにすることがなくなる。人は金のことを気にしないで、アイデアを快く受け入れる。それによってアイデアも、その充足をもたらす各手段も、更におのずから展開するようになる。

人はその充足を円滑に展開させるために待機するだけだ。

充足されているところはどういう意味だろうか。金はその意味から切り離された状態で存在しないものだ。だからあえて注意すべきところは意味の方だ。アイデアを実現するための金や材料、消耗品、人材、設計者、建築士など不可欠そうに見えるものは注意すべきところではない。

金を恐れるな。また金の不足を恐れるな。

自分の健康は医薬の発展状況に依存していないだろう。同じく自分の幸福や裕福は株式市場や世界経済に依存しているわけがない。自分の健康は自分の実相だから自分のものだ。

病気、すなわち心地よさの欠乏は、どこから生じるだろう。

神からではない。神に対する無知から生じるのだ。ゆえに自分と神との一体性に対する認識がより鮮明になれば、病気が消え去るものだ。また世界経済の安定度とは無関係に、貧困も消え去るものだ。

充足を景気に依存させてはいけない。収入を仕事経由で得ているとしても、充足を仕事にも依存させてはいけない。

あなたは現象界である三次元の枠内に閉じ込められている。この枠は原因と結果、つまり作用と反作用の世界だ。「これこれをすればこの物を取得する」「これこれをしなければあの物を取得する」「労働で時間を費やせればその分の金を取得する」「労働で時間を費やせなければ金を取得しない」

ところが原因というのは、三次元の枠内にはない。

言い換えれば、あなたの充足の源は此の世にはない。

イエス・キリストの引用


源はあなたの実相にあるのだ。あなたの実相は、神の直接自己表現で、以前にわたしが説いたように、何一つ出し惜しまずにことごとく与えられている存在だ。というとあなたの充足はあなたが存在している一瞬一瞬に備えてあるということだ。

必要なのはあえて充足を迎え入れることだ。

だから次のようなことを言うのを止めるべき。「わたしは1年以上働かなかったので充足を経験することはあり得ない」「おれの250円の時給で充足を経験することはあるもんか」

こんなせりふは勘違いに妥当性を与えているだけだ。

三次元以外の源が見えないあなたは、見えない源を考慮していない。ゆえにこんな源から生じる充足を求めても無駄だと勘違いしているのだ。

あなたの健康はこれこれの薬の入手状態に左右されているだろうか。そうではない。同じくあなたは景気に左右されているのではない。

さて、今日は金という主題を徹底的に説く時間がない。けれど、これだけの話しは、あなたを貧困との束縛から解放する課題にぴったり取り組んでいる。あなたのためにも、興味を持つほかの人のためにも、問題の急所をずばっと突いているのだ。



カリフォルニア州ロサンゼルス市
1987年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.04.16
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
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「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエス・キリストが説く「金の実相」