イエス・キリスト   ACIMとは   目次 
イエスキリスト著作のACIM(奇跡講座/奇跡のコース)解説など

イエス・キリストが明かす

人生をオートパイロットに
切り替える方法

Raj Gathering
質問者:僕のこれからの職業、要するに僕の本当にやりたいこととして、演劇とメジャーリーグ野球とロックンロールとについて事態を明確にしていただきたいです。この3分野が何らかの形で統合されて一つの職業になる気がします。活用する過程は、、、

ラージュ(=イエス・キリスト):あのね、あなたは甚だ余計に考えているぞ。何もかも自分でまとめようとしているじゃないか。手放し、事態がおのずから展開されるようにしておくべきだ。

何もかも事前に理解しなくてもいい。勇気を出して静かになることが先立つ。そうしたら自分の存在という運動が事態をきちっきちっと展開してくれる。

これは非難ではなく、わたしの観察したことだ。人間の心の働き方を観察したことだ。あなたは自分のやっていることを常に理解するようにしつけられた。頭の中で常に事態を整えるようにしつけられた。ステップ1、ステップ2、ステップ3、ステップ4という具合にね。プロジェクトを引き受けることを検討するときに、ステップを一つも見逃さない。

イエス・キリストの引用


しかし、あなたが考えはじめる前に、あなたの本質的存在という運動は、あなたの充足に当て嵌まる物事を既にきっちり展開している。これを把握しはじめることは目覚める過程の一部だ。

落ち着き、自分自身を静かに観察しろ。この観察から生じ出してくる事柄と一緒に流れるように、コントロールを握ろうとすることを思い切って手放せ。そうすれば自分の充足に対する直接経験がもっと鮮明かつ優雅になるのだ。これを把握しはじめることも目覚める過程の一部だ。

朝起きたら、頭がフル回転する前に、しばらく静かにしなさい。わたしが昨日説いたように、「今日こそ神が展開している日だ」ということを認めるのだ。

そしてあなたの個人性の存在は本質的に神だということを受け止めろ。そうしたらあえて好奇心を持ちなさい。自分の存在という運動が既にばっちり整頓されたままでどんな調和と充足を展開しているのか見てみるがいい。

ところがこれでエゴはぞっとする。

エゴは事態を整えてコントロールし続けるために絶えず腕前を発達させているからだ。しかしそのようなコントロールを手放し、好奇心と探究心を調和と充足の展開に向ける必要がある。その覚悟がない限り、調和と充足が展開されているところを観察できないからだ。

イエス・キリストの引用


よって安全を経験する機会を逃してしまうことになる。安全は自分の存在の固有成分だ。ゆえに自分の命の固有成分だ。それなのにね。

事態を自分で整えることで忙しい限り、自分でやる必要がなかったということを知る機会が訪れるはずがない。しかも、その負担も、その負担をちゃんと処理しなかったために生じる罪責感も、あなたのものではないということに気付くはずがない。

あえて落ち着き、頭で理解しようとしないように、わたしが勧める。

気が休まるように許せ。そして今週末中わたしがずっと説いていた、あなたの本質的存在という運動に信頼せよ。そうしたら、その運動はあなたが知るべき事柄をどんぴしゃりと展開してくれる。あなたのいつもの思考と違って、その運動が不必要なものを持ち込まないということも明らかになる。

あなたは、生計を立てて準備を整え、個人的な責任を背負い、切迫感に駆り立てられている。しかしそれらの束縛から解放され、自由になり、ホッと胸を撫で下ろす。もう今夜それに気付きはじめるはずだ。




心の安らぎを経験してもいいころだよ。安らぐことも、安らぎの中で充足を経験することも、あなたの生得権、すなわち生まれながら持つ権利だ。

「あなたは無事だ」

1日あたり少なくても4回、1回につき5分で、そのメッセージを沈思黙考してほしい。これを知性的にまとめようとしてはいけない。

座って。

深呼吸を数回して。

ただ「わたしは無事だ」と口に出すのだ。

この言葉の意味について考え込め。考え込むのは「わたしは無事だ」という言葉だけだぞ。

「○○に対して」という言葉を追加しちゃだめ。座って「わたしは無事だ」と言って「わたしは○○に対して無事だ」と考えちゃだめだね。自分が無事だということは、自分に向かってくるものに対する否定ではないからだ。いいか?

「わたしは無事だ」という言葉だけの範囲からはみ出さないことだ。

イエス・キリストの引用


わたしは(oooo)無事だ」のように、「わたしは」にアクセントを置いてもいい。次に「わたしは無事だ(ooo)」のように、「無事だ」にアクセントを移してもいい。

ある危険に対して無事だということについては考えないでね。なぜなら、危険が何一つないからだ。もしかして自分が本当に無事だということを考慮に入れ、その単純な意味を感じる必要がある。

この言葉を口に出すことは魔よけを振りかざしているような行為ではない。口に出すことは、お守りの役目となるのではなく、事実に対する簡単な承認となるのだ。

5分間、1日あたり4回、静かにやってから、日常生活を営み続ければいい。日常生活を営んでいるうちに、安心感を持ちながらできるということを思い付いたら、安心感を持ってもいい。

エゴはもしものことが起こり得るとしきりに言っている。あなたの状況は安全ではないとか、あなたは身を守るべきだとか、心配すべきだとか、こころを騒がすべきだとか言っている。それはあなたが実相と対立することは、エゴが存在し続けるための必須条件だからだ。

従ってエゴは、あなたの境遇が安全だということを認めさせない。あなたが今この瞬間にまさに天国の只中にいるということを認めさせない。あなたが天国の只中にいると気付いた瞬間に、エゴはその思われる存在の名残をあらいざらい無くしてしまうのだ。

それではったりをかけて次のことを言う。

「現実に注意を払うな。事実だとわたしが指定することに注意を払うのだ。事実だとわたしが指定することは、あなたの状況が危険で、あれやこれを失う恐れがあるということだ。あなたは無事ではない。気に病め。心を騒がせ。びくびくしろ。嫉妬しろ。心のすばらしい不調和を保て。」

ところがそれはポーカーゲームでかけるようなはったりにすぎない。




あなたは、エコの言っていることが本当かどうか試してみて、勇気を出して落ち着かなければならない。

勇気を出して安らげ。

勇気を出して自分が無事だと認めろ。

勇気を出してホッと一息をつけ。

息をつきながら不安を吐き出してしまえ。

イエス・キリストの引用


わたしが言っているのは、あなたが無事だ。しかも切迫感なしであえて胸を撫で下ろしてもいいということだ。

あなたの存在という運動があなたの充足をどのように展開するのか。そのすばらしい様子を観察するために、今夜も明日も勇気を出して探究心を働かせてもいい。汗を一滴もかかなくても、心をちっとも騒がせなくても、偽りの責任感を全く背負わなくてもいい。

その上、驚いてもいいという心構えをするようにわたしは勧める。あなたは包装されたクリスマス・プレゼントをもらった子供のようだ。クリスマスの前に、箱の中に何が入っているか知りたがっている。

「僕は準備として何をすればいいだろうか。万事を整えて、自分の調子を事態の展開に合わせたい。」あなたはそのように考えている。ところが、調子をその展開に合わせるために、十分にリラックスしていないじゃないか。いいか?

手放して、得がおのずから現われるようにするのだ。自分の存在という運動の流れに運ばれるように、十分に手放すんだぞ。そうしたら自分の充足となるものに運ばれるはずだ。その充足が何になるのかな。それを発見するのには子供のように楽しみにすればいい。

楽しいぜ。

事前に何もかもを計画に釘付けておいて発見の喜びを失うほど、大人らしくしなくてもいい。




モンタナ州リビングストン市
1986年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.04.16
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
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「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエス・キリストが明かす「人生をオートパイロットに切り替える方法」