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非常識?

イエスが明かす、「心配・恐れ」を
ばさっと切り落とす秘術



Raj Gathering質問者:近頃、優柔不断で僕は自分の商売をほとんど棒に振ってしまいました。経費をきれいに支払い尽くしたい。しかも欠乏から脱出したい。

そのために研究またはほかの分野で、息を吹き返してかからなければならない。そのために、僕の尻を押していただきたい。

でも、どうせ挙句の果ては無駄骨を折ることになるのか、欠乏に対する恐れで心がよく騒ぎ出してしょうがない。そのせいで求道の旅路で自分が立ち往生しているのではないかと。

ラージュ(=イエス・キリスト):恐れというものにふけることは何の役にも立たない。恐れは非現実的で無益なのです。あなたはその証拠を十二分に見てきたはずです。だからその理解を深める段階に達している。

そのため、あなたには新しい選択肢が現れてきました。その選択肢とは、恐れを、まったく時間の無駄だとして無視するということだ。



恐れは何の物にもならない。

及び腰を起こし、見掛けの問題の解決には何の役にも立たない。なのに、あなたの習い性となった考え方では、恐れから手を引くことはまったく無責任な行為だし、責任感のある大人なら、ちゃんとびくびくしながら心を悩ますべきだということになる。

それでもわたしが言うのは、恐れにのまれて、及び腰になったら、その恐れから手を引いたほうがいいということなのです。

責任というものを新しい観点から見てみましょう。

恐れというものはいつも無益だった。今も無益だ。ならば、恐れにふけないようにすることによって、責任感を持ったらどうですか。

「こんなにのほほんとしているのじゃ、頭がおかしいんじゃねえのかい」と、エゴは反論するだろう。しかし落ち着いた態度で行動すれば、冷静に判断し、大局的に見ることができる。頭がこんがらからないので知恵が回って心にひびく。

よって機転が利く。

だからあなたの今のやるべきことは、まさに、恐れから手を引く習慣を身に付けることです。

どうやって?

ただやればいい。やり方なんかないですよ。

やり方はエゴから紹介されるものなのだ。エコに耳を貸すなら、あなたは種々のやり方を学ばなけりゃなんない羽目になる。しかもそれを練習しなけりゃなんない羽目にもなる。

ならば手遅れになる。こつをまだつかんでいないうちには、何もかもがすでにおじゃんになっちまうからだ。

心配しないということに決めさえすればいい。そうしたら、行う必要のある目の前のことを処理すればいい。

心配なしで行動することは、頭がまともでないと感じていても、あなたができる最も賢明なことだ。なぜなら恐れを下ろすと安心が残る。しかもこの安心では、生活が営めるために、大局観と明瞭さだけでなく、必要な結論に達する能力も備わる。



あなたはハンマーで自分の指をぶっ続けにたたく癖があるとしよう。それでわたしが近寄り、「指をたたく必要はないぞ、やめたまえ」と言ったとしよう。それに対して、「どうやって?」と尋ねるでしょうか。

どうやってってこっちゃないだろう。

指をたたくのをやめるだけだ。やり方なんかないんだから。

あなたは、心を騒がすことでなんらかの形で自分が得すると勘違いしていますよ。それこそがあなたの問題です。

あなたは欠乏していながら、くたくたに疲れ、東西を失う癖がある。

それによって自分のことがぐうたらではない、責任感をちゃんともっている大人だと人々に思わせようとしているからだ。要するに、心を騒がすことは、自分の円熟を実証していると思い込んでいるわけです。

それなのに、ご存じのように、わたしが先ほど述べたように、心を騒がすことでは、あなたは及び腰になってしまう。しかも終わらすべき仕事が放置されたままになる。

それだけではない。皮肉にもぐうたらになってしまう。しかも、自分がやりたくないことそのものをやる羽目になってしまうのです。

もうつべこべ言うな。さっさとやめろ。

わたしの言っている意味がわかるはずです。あなたは子供を育てたことがあるじゃないですか。

お子さんたちが兄弟で口げんかして殴り合ったときのことを思い出せよ。あなたはやめろって言った。なのにお子さんたちは口答えした。「でも父さん、あいつはこれこれをしでかしたよ」「くそたれ、これこれやりやがったからよ」などと言ってやめようとしない。

それであなたはもう一度「やめろ」と言った。なのにお子さんたちがまだ黙らないので、にらみを利かし、「やめろ!」と大喝したじゃないですか。

やめるってことですよ。それ以外の何ものでもないですね。



同じように、わたしはあなたに同じことを言っています。「心配するのをやめるんだ。やめろ!」

心を騒がすことによって、建設的に使える活力が浪費されてしまう。心を騒がすことをやめてみると、どうなる?その途端に、みこしを上げ、行う必要のある事に取りかかる気力が湧いてくるのです。

それだけではない。心の平安の中では、行うべきことは、目と鼻の先で待っているので、迷うことなく、はっきりとわかる。

状況は実際にごちゃごちゃになったわけではない。ごちゃごちゃに見えるのは、心の乱れた結果なのだ。

しなければならないことを行うためには、あなたは必要な知能と才能をちゃんと持っている。だが心配にふけると、気力と明瞭さが利用できなくなる。

だから心の平安を選択しなければならないのです。

今朝述べたように、視点が二つだけで、そのどちらかを選択しなければならないということですね。一つはあなたを混乱の中に閉じ込める。そしてもう一つはあなたを混乱から解き放してくれる。

重要なのは何でしょう。

期限が月曜日に当たるあの請求書か。または期限が来月に当たるあの気にかかる請求書か。そんなことはどうでもいい。ちょうど今は支払えなくても、ちょうど今は支払わなくてもいいんです。

重要なのは、あなたのちょうど今の選択なんですね。

心配というエゴの反応を選択しているのか。それとも、自分の中心部の平安を選択しているのか。状況を一変させるために必要な大局観を利用したければ、中心部の平安のほうを選択するがいい。

イエス・キリストの引用


この答えはあなたの案に相違して、単純なものになった。でも単純すぎるのではない。あなたの期待した答えが必要以上にずっと複雑なものだったのです。

一時期は、ポール(P・タトル氏)は、収入のことをやきもきと心配していた。彼は種々雑多なアイデアを考え出し、相談しにわたしのもとに来るものだった。しかしそのたびごとに、わたしは次の助言しか与えなかった。

「収入は、自分が自分の中心部にとどまることによって生じてくるものだ」と。

彼はいらいらするばかりだった。もっと実用的なアドバイスを望んでいたからだ。とはいっても、とうとうわたしの助言を受け入れてくれた。

そうしたら欠乏として現れた現象が変わった。

なぜ?彼はお金を狙うのをやめたからだ。その代わりに、エゴが引き起こす反応の状態を選択するか、それとも自分の存在という運動の中心部を選択するか、その二者択一を行っていたわけだ。

それ以上に込み入ったわけではない。

なのに彼は抵抗をすんなりとやめるわけではなかった。すうっと自分の中心部に沈み込むようになるまでは、3日間もずらずらと異を唱え続けることもよくあったわけだ。

あなたもそうじゃないですか。わたしの提案を受け入れるまでは、3日間も掛かるでしょう。



ポールは1週間ぐらい静かになっていたら、またもや金もうけの新案をいくつか持ち出すものだった。だがそのたびごとに、わたしは彼に先ほどの原理を思い出させるだけだった。繰り返すけど、収入は自分が自分の中心部にとどまることによって生じてくるものだということです。

さて、それを一枚の紙に書き留めてもらいたい。いいかい。「収入は、、、自分が、、自分の中心部に、、、とどまることによって、、、生じてくるものだ」とです。

この紙をちょいちょい目をやる場所に貼ってほしい。そうしたらもっと込み入った解決を求めるときに、この真理が容易に想起される。解決はそれほど単純なんだから。

自分の中心部に沈み込むために、座って瞑想する必要があると感じたら、是非そうするといい。自分の中心部に沈み込むことが最も重要な行動だからですね。

なぜ?自分の中心部にとどまっていなければ、とるべき行動を知るための明瞭さがあるわけないからです。愚行を犯さすように要求されることは絶対にない。

だから勇を鼓し、恐怖に左右されていない、自分の中心部という境地に沈み込むがいい。それこそ、あなたの懸命な第一歩なのです。



ニュージャージー州リビングストン市
1987年6月の集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
英語原文
目次
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K・ヤマダ訳
A Course In Miracles
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「わたしはクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
イエスが明かす、「心配・恐れ」をばさっと切り落とす秘術