イエス・キリスト   ACIMとは   目次 
イエスキリスト著作のACIM(奇跡講座/奇跡のコース)解説など

イエス・キリストが明かす

神からのガイダンスを受ける
秘訣

Raj Gathering
質問者:エゴからの偽りと神からのガイダンスとを見分ける具体的な方法を教えていただきたい。それに肉体で現われている案内者と肉体で現われていない案内者とがいるようですが、彼らからのガイダンスの良し悪しを知りたい。《質問の要約》

ラージュ(=イエス・キリスト):エゴの言うことを聞いているなら、胸とみぞおちとの間に、緊張や不安を必ず感じるものだ。この感覚は、特に小さいころに感じた、エレベータでツーと下りているところのようなものだ。

聞いている内容が、エゴからでなく、神からの場合は、そのような感覚と違って、平安を感じるものだ。

肝に銘じておくべきもう一つのことは...

あなたたち一人一人には、真実をそれだと分かるために生来備わっている能力があるということだ。この話しは、わたしがちょいちょい言うので耳にたこができただろうが、極めて単純な事実だ。

なのにあなたたちは、複雑な方法を追求するのに忙しくて、この能力があるということを見逃しがちだ。ゆえにこの能力をよりどころにしていない。

この能力は、例えて言えば、運動させられていないのだ。普段使われていないので、あなたはその信頼性を感じるようになっていない。よってその能力になじんでいない。

夜中に寝室で眠って夢を見ているとするよ。

その夢の中にいる人物はあなたを夢から寝室まで連れ帰ることができるだろうか。あなたの注意を夢からそらすためには、目覚し時計やお母さんなど夢の中にないものが必要だ。要するにあなたの目を覚ますものは、夢の中にあるものではない。




だから此の世に生まれてきた肉体を持つ案内者はどうだろう。

唯一のまともなのは、絶えずあなたをあなたの実相に連れ帰ろうとし、真実をそれだと分かるために、あなたが自分の生来備わっている能力を活用するように仕向ける人だけだ。まともな案内者は、あなたがその能力を信頼するように、また自信を超える盲信に頼るように何度も繰り返してあげるはず。

その一歩を踏み出すことに対しては...

エゴは舌端火を吐き、あなたたちはおどおどしてしまうものだ。だからあなたたちは、互いに組む前に、聖霊か父かわたしか自分のガイドと組む必要がある。なぜなら、我々は、その一歩が安全だと知らせ、踏み出すように促せるからだ。

「今日は何も自分だけで決めない」《ACIM第30章1節》

あなたが知っているように、多年にわたり何でも自分だけで決めてきて、自分が比較的無事にやってのけた。だから今日だけなら、試しにいつもと違うやり方で過ごしても、突然損害を受けやすくなるはずがない。なぜなら、いつものように、死なないで、自分で判断して結論を出して決定するために自分が培った能力にまた頼れるからだ。

しかし最終的には...

ある転換が起こらなければならない。エゴ範囲内の小さい自分《=小我》の決意から実相自分《=真我》の統治への転換だ。

実相自分の統治とは、父という運動の存在のみと一体になって流れているという意味だ。父という運動の存在はあなたの実相の自我だ。と言っても、厳密に言えば、あなたが居る場所での唯一の存在は神だけだ。だから「あなたの実相の自我」という概念は無意味だ。




その表現を使った唯一の理由は、この経験はまだあなたの立場から起こるということだ。神の心を経験するのはあなただ。もっともエゴの取るに足りない視点からではなく、神の視点からだ。

現実的にいこう。

案内者は確かにいる。助けなしでは目覚めることは不可能に近い。なぜなら、エゴが定めた定義システムでは、目覚めのにおいを放つことは何でも、極めて危険だと解釈されるからだ。従って、並外れた霊的気骨がなければ、エゴが設立した障壁を乗り越えることは無理だ。

神は愛だ。

あなたの存在という運動も愛だ。

あなたは自分自身に対して無知な狭い感覚に囚われているにもかかわらず、その愛はあなたを取り囲んでいる。そればかりか。あなたを目覚めた状態へと誘っているとも言える。

あなたの実相存在という運動の意向は、あなたの全部がそれ自体を意識的に経験することだ。部分的にではなく、また無意識的にではなく、全部をことごとく意識的にだ。これはあなたの実相存在という運動の意向だから、神と一体になっているあなたの意向だ。




目覚める過程では、あまり一人だけでやろうとしない方がいい。一人だけでやろうとすれば過程が抑圧され、不愉快になるからだ。

案内者がいる。父が出迎えにやって来る。あなたは自分の放棄した神性を経験したいという好奇心を抱くようになったら、またその神性を快く受け入れたくなったら、その神性はあなたの顔をばしっと叩くぐらいはっきりと現われるものだ。

あなたの神性はもともとあなたそのものだからだ。あなたは今自分のことを神性だとして考えて扱うようになったら、自分の神性は、経験として避けられなくなるものだ。「あなたの顔をばしっと叩く」と言ったのは比喩的にその意味だけのつもりだった。

とことんまで快く屈服する意志を持つようになるまでは、援助は備えてある。しかしそれを歓迎して受け入れなければならない。煎じ詰めれば、ACIM(奇跡の学習コース)の一から十までは、快く父に屈服するところについて語っている。つまり「我が(こころ)にあらずして御意(みこころ)の成らんこと」だ。

しかしそうするのには、思考と論理に見切りをつける必要がある。

「そりゃヤバそうだな」とあなたは言うだろう。

神の普遍性に対する信念がしっかりしていれば、無事に暮らすために論理を活用する必要が感じられないものだ。この状態では、父の御意に屈服し、以前にも言ったように、実相の意味で正気を取り戻すことができる。

論理の正しい使い方はあなたをこの境地に着かせることだ。





フロリダ州ウィンター・パーク市
1992年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.04.16
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
ACIMロゴ
acim.jp
「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエス・キリストが明かす「神からのガイダンスを受ける秘訣」