イエス・キリスト   ACIMとは   目次 
イエスキリスト著作のACIM(奇跡講座/奇跡のコース)解説など

イエス・キリストが明かす

罪悪感がスカッと晴れる奇妙な
60日試用体験

Raj Gathering
質問者:自分のやりたいことをめぐって何に対しても、罪悪感で胸がずきんと痛みます。これについての理解を深めたい。そしてどのように対処すればいいか、またこの罪悪感をどのように取り除けばいいか知りたい。《質問の要約》

ラージュ(=イエス・キリスト):《ふざけた口調で》やりたいことをどれも二度としないのが解決。

質問者:嫌な解決ですね。

ラージュ:《シリアスな口調で》ならば、自分の知性を活用し、やりたいことを実行し、勇を鼓して楽しめばいいじゃないか。

やりたいことを実行している間、意地を張っていない、すなわちエゴのレベルで行動していない。自分にとって意味のあることを認め、それを思い切って実行している。だからいいじゃないか。

いいかい?やりたいことを二度としない愚かさが分かるだろう。

質問者:よーく分かります。

イエス・キリストの引用


ラージュ:ならば、あえてその愚かさを見通す知性を使いたまえ。そうしたら自分のやりたいことを実行する方が賢明だと気付く。自分にとって意味のあること、ピンと感じること、自分のものとして扱うことを一か八かやってみる方が賢明なんだ。

ただ...

罪悪感なしで充足を経験することは恐ろしい。わたしはちゃんと知っているよ。実際、これが諸君の一人も天国を今経験していない唯一の原因。しかしこれこそ肝を据えてやらなければならないことだ。

これは言ってみれば、あなたが把握できない事柄の中への盲信的な躍進を実現する方法の一つ。

では、やりたいことを二度としないと決心したままで、ちょっと手を付け、寝覚めを悪くすることも賢明ではない。これでは身体的な精力が消耗する。免疫系衰弱の一因にもなる。それで軽い感染症にわりと弱くなりがちになる。

さあ...

罪悪感にふけないで、伸るか反るかやりたいことを実行して存分に楽しむことを勧める。2ヶ月間だけでいいから、一か八かやってみるがいい。ちなみに健康状態がどう変わっていくか注意してほしい。

さらに、他人があなたのことをどう言うか注意してほしい。

「あなたはなかなか楽しい方ですな」「いやあ、おめえは変わったじゃねえか。どうなったんだい?」「どこがとはっきり言えませんが、あなたのことを気に入りましたよ」

あなたは、仲間入りをし、思い出され、求められるようになったということに気付くはず。理由は、罪悪感や傲慢さのにおいを放っていないということになる。腹を据えて罪悪感なしで人生を楽しむなら、喜びがふきこぼれるまのだ。

これはこの会場だけでなく、この惑星の全面に住む一人一人に当て嵌まることだ。

「なんぢらに御国(みくに)を賜ふことは、汝らの父の御意(みこころ)なり」《ルカ伝12:32》

あなたも、誰もが神である父の自己表現だ。神である父兼母は、みずからの自己表現に何一つ差し控えなかった。だから何から何まで漏れなくあなたにくださったのだ。だとすれば、一切合財は、あなたが楽しみ、取り入れ、束縛しないで所有し、遠慮なく経験するために備えてあるのだ。




しかし以前にもわたしが言ったように、ここには盲信が要求される。

勇を鼓してその喜びを遠慮なく経験しなければならない。しない限り、健康状態が良くなるはずがない。これは諸君の一人一人にも言えることだ。

思考力によれば、すなわちエゴによれば、この行為は以ての外だ。しかし、伸るか反るか盲信で実行しない限り、わたしが説いていることの真実性を裏付ける証拠は見えてこない。

「三日見ぬ間の桜だ。この邯鄲(かんたん)の夢を楽しむのは今のうちだ」このように、充足の経験が限られてはかないものだと表現する語句がさまざまある。しかもこれらの語句は背景を設定して法則になってしまう。

そればかりか...

やがて自分が充足の経験に値しないものだとかたくなに思い込んでしまう結果、受け入れるのを拒み始める。それで、「ほらね、幸せってさ、つかの間のものじゃないか」などと弱音を吐く。

思い込みに用心せよ。

イエス・キリストの引用


罪悪感を取り除くことは、他段階の過程ではない。「ふける」か「ふけない」かの二者択一に尽きる。二つに一つ。

わたしが勧めるのは、「ふけない」の選択肢だ。60日間試してみるがいい。「60日試しの期間中、やりたいことを実行して楽しむことで、罪悪感にふけないことにする」と宣言するがいい。

心配は要らない。

世界がちょんになったりはしない。またあなたの足元が崩壊したりはしない。おまけに四苦八苦しないで、自分の貴重性について山ほど分かるようになる。

罪悪感にふけるかふけないかだ。白か黒か。だからふけるのを単純にやめちまえばいいんだ。

罪悪感が湧き起こりそうになったら、次ぎのことを言いたまえ。「駄目駄目!再来月の21日までは罪悪感にふけないことになっている」と。そうしたら罪悪感にふけないようにする。

なぜできるのか。

罪悪感というのは無理やりに押し付けられるものではない。選択で呼び起こされるものだ。諸君の一人一人にとってもそうだ。

だから再来月の21日までには、呼び起こさないことにしたまえ。期日の翌日からは、罪悪感におぼれても差し支えない。

イエス・キリストの引用


でも、自分に対しても自分の境遇に対しても会心の笑みを漏らすはずだ。絶対にだ。期日が来たら、期限を更に2ヶ月で延ばすだろう。

分かってほしいのは、罪悪感にふけるかふけないかは、つまるところでは、選択だということだ。「駄目!再来月の21日までは罪悪感にちょっとだけでも触れもしない」と宣言することはけっして大風呂敷ではない。

心構えは?

座って瞑想しているときのようにすればいい。うっかり忘れたことを瞑想中に思い出したときに、「瞑想が終わってから対処する」と言うじゃないか。そしたら脇に置いておいてマントラに戻るじゃないか。

同じように、罪悪感が浮かびそうになったら、次ぎにことを言えばいい。「試用期間が終わるまでは、罪悪感にふけないでおこう。今は自分のやりたいことを実行して楽しむというマントラに戻る」

このように、瞑想の心構えでやればいい。

イエス・キリストの引用


わたしが言おうとすることに対して、思考力の働きで、数多くの反論も、反論を裏付ける理屈も浮かんで来るだろう。しかしどんな場合にも、罪悪感には根拠が絶対にあり得ない。

エゴの範囲内では、エゴの操りで、罪悪感には根拠があるように見えるだろう。しかしこの根拠が本当にあると思い込んでいるならば、あなたはエゴの範囲に閉じ込められて、脱出できない羽目に陥っている。

いいかい?

罪悪感を手放すように意を決さなければならないのだ。あなたは神の子で父の直接表現だから罪悪感には根拠があり得ない。知的な面だけでも、これが把握できるようにならなければならない。

罪悪感が採用されることはエゴの手口だ。この手に乗ってしまうと、自分の実相の姿であるキリスト性が経験できなくなるのだ。

その反面...

自分のキリスト性を自分のものとして要求し、罪悪感を手放すように心を構える瞬間には、どうなるだろう。罪悪感とその根拠を裏付けたように見えた劇的な背後は変貌し始める。一から十まで構成が変わり、即座に父の御意(みこころ)が現れるようになるのだ。

しかしあなたは次ぎのことを言っている。「でも僕は自分の家族に苦痛を与えてしまったよ」とか、「誰それにひどい目にあわせてしまったよ」とかだ。

やれやれ、エゴの術中に陥っているぞ。

他人の幸せまたは不幸せはあなたが預かっているものだろうか。エゴはそうだとあなたに思い込ませようとしている。

イエス・キリストの引用


けど、わたしが言っておくが、神は自らの自己表現のいささかも「あなた」というエゴに預けておいたことはない。つまりあなたはエゴの術中に陥っている。

あなたの罪悪感はまったくの妄想だ。

あなたの実相は神聖な存在だ。だからそれが潔白なので清らかだととあえて見なすべきだ。その上自分の神聖さを自分のものとして主張すべきだ。そうするなら、「心の癒し」という現象を経験するはずだ。




その上、あなたのせいで苦痛を味わっている人々は、行動を変え始めるはずだ。苦痛を味わっていたのは、彼らも、エゴの範囲内で、あなたの虚偽の責任と虚偽の影響力を受け入れる意思のせいだったのだ。

しかも...

そこにある構成は変わる。その上彼らの誤った見方も直される可能性が高い。なぜなら、自分の罪悪の無さを見いだす意思があれば、他人の罪悪の無さもあらわになるものだからだ。

だから、エゴの観点で言う責任感をすっかり放棄し、罪悪感にふけるのを拒否することを勧める。単純に拒否するんだぞ。

「今取り込み中なのでしばらく待ってくれ」とエコに言うべき。なのに「ただ今わたしはエゴと会議中なので、しばらくお待ちくださいませ」と自分の人生に向かって言っている。それでエゴを相手にし、エゴの術中に陥り、苦汁をなめる。

自分の関心をエゴに向けるより、人生とその喜びに向ける方が賢明。

再来月の21日などのように設定しておく日にちまで、エゴを保留にしたまえ。期間をきちんと特定しておくことを勧める。

物は試し。

トライアルとしてやってみることを勧める。そうすれば、どっちの方が健全か、またどっちの方が心地よいか、体験で比較してみることができる。




マニトバ州ウィニペグ市
1989年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.06.30
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
ACIMロゴ
acim.jp
「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエス・キリストが紹介する「罪悪感がスカッと晴れる奇妙な60日試用体験」