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イエス・キリストが明かす

恥や罪悪感をシュッと一吹き
で消す方法


Raj Gathering
質問者:わたしは時々恥や罪悪感にさいなまれますが、どうやってそれを取り除けるでしょうか。《残りの2質問を除く》

ラージュ(イエスキリスト):《上記の答えだけ》恥や罪悪感にさいなまれる動因は心にあるのではなく、まるまる頭にあるんですよ。こんな場合は、自制を使うしかない。

けれどこの自制というのは、一般的な意味で言っているのではない。要するに、無知とむちゃを実践するのではなく、知性と理性を実践するという意味で言っているわけです。

では、自分の感じていることに注意してください。

恥と罪悪感にふけっているときは、自分の内側はぴりぴりと緊張している。安らかではない。葛藤しているんじゃないですか。

この葛藤から解放されるということは、恥と罪悪感を取り除くということになる。

これを成し遂げるのには、熱狂的にならなくてもいい。しかも、恥を取り除いてくれるように神に祈らなくてもいい。




恥や罪悪感はみんな習い性にすぎない。しかもエゴの手口だ。あなたを自分の平安から遠ざける手口です。

それだけなんですよ。

だから解決策は、自分のことを許すために行う奇術でも何でもない。解決策は単に恥や罪悪感を活性化しないということだけなんです。

やり方は、自分の平安を選ぶということです。

そうするのには、あなたの現状はちょうどいい。なぜ?効果的に瞑想して自分の平安の中に沈むことができるからだ。恥や罪悪感を引き起こす事が行われている最中でもだ。

笑われることはない。あざけられることもない。

自分の平安の中に沈むということは、思考という反応的な表面レベルから沈み、自分の存在という運動の本質が体験される境地に降りるということです。

この本質は、最初は、平安として経験されるものです。

この平安の中に入っていれば、反応的にならないで、行われていること何にでも対処できる。

無能力になることはない。

社会で活躍できなくなることはない。

それどころか頭脳明晰で活躍できるのです。

そいうわけで恥や罪悪感から抜け出す方法は、自分の平安を選ぶということです。要するに自分の心にある平安の中に沈むということを選択するわけです。意識的にね。

力む必要はない。抵抗するのをやめれば自然に沈むのです。

緊張や恐れから抜け出す方法もこれと同じです。これはあなただけではなく、すべての人にとってもそうなんです。

これで神の子として、自分の自然の有り様を経験している。恥・罪悪感・後悔にふける時間だぞと、エゴがぎゃーぎゃー騒ぎ立ててもだ。

こんな示唆の煽りを食わなくてもいい。あなたが反応的な表面レベルでドタンバタン翻弄されていないなら、エゴからの示唆は無力だからだ。

だれでも自分の平安を選び、その中に沈むことができる。どんなときでもだ。そうしたら大局観で見れるのです。

自分が無事だということがわかるのです。

イエス・キリストの引用

今朝わたしが述べたことですが、あなたのことは難攻不落の存在だ。これは突き通せない防御力があるということではなく、危険というものが実在しないということだ。

恥や罪悪感の示唆が浮かんでくるたびに、あっさりとこう言えばいいんですよ。

「そんなこっちゃねえ、そんなこっちゃねえ、そんなこっちゃねえ」と。

「そんなこっちゃねえ、こんにゃろっ!」じゃなくて、怒っちゃだめです。怒ることでその恥や罪悪感に活力を与えてしまうはめになるからです。

やんわりと言えばいい。「そんなこっちゃねえ、そんなこっちゃねえ」と。

瞑想するのが難しそうなときに、このテクニックはとっても用に立ちますよ。自分自身のために用いるといい。

恥にふける時間だよとエゴがささやければ、「そんなこっちゃねえ、おれ取り込み中」と言えばいい、やんわりと。

ダイレクトでいい。

自分のことを許すための儀式など手順は不要。そんなごちゃごちゃはただの道草。エゴを喜ばす道草だ。それで自分の平安を選ぶことが繰り下がってしまうだけ・・・




ペンシルベニア州セントデービッズ町
1992年5月集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
英語原文


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K・ヤマダ訳
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「わたしはクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
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