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イエス・キリストが明かす

神秘的な治癒を体験する方法

Raj Gathering
質問者:わたしの骨髄で作り出されている血球の異常で、血液の粘度が余計に高くなっています。この実態を知りたい。

ラージュ(=イエス・キリスト):その実態は何もないのだ。

一方、好機でもある。あなたが体の中に宿っている霊ではないという知覚をはぐくむ好機だ。

あなたは現れた霊なのだ。

あなたの体は、霊であるあなた以外の物を具体化することができない。しかも体はそれ自体の存在する目的を忘れることができない。その目的は、霊であるあなたを識別されるものとして現すことだ。しかも完ぺきにだ。

1日に何回もこれを沈思黙考してほしい。

沈思黙考は、腰をどっかと下ろして何時間もぶっ通さなくてもいい。ただ思い起こせばいい。自分の体は、霊であるあなたを識別されるものとして完ぺきに現すために存在し、そのやり方を忘れることができないということを。

あなたは体ではない。

それに、霊から独立して単独で行動できる体は存在しない。

これを心に留めておくことが重要。なぜなら、心に留めておくと、唯一の期待すべきことに気付くからだ。あなたの場合では、それは血球異常の証拠がますます減少するに連れ、完全無欠の証拠がますます増大するということだ。

これが起こるのは、自分の体は自分の味方だからだ。体はそのように作られたのだ。

体は、霊であるあなたを識別されるものとして完ぺきに現している。それによってあなたに仕えている。そのために存在している。ゆえにあなたの味方だ。

分かる?

「この体、今度はどんな不調を勝手に現すかな」と憂えるのは、体に対する恐怖を招き入れることになる。恐怖を招き入れちゃ駄目だぞ。

いいかい?

体に対する疑念や恐怖は邪魔だ。その邪魔で自分の体を鮮明に経験できないことがある。

実際はこればっかり起こっているのだ。体は霊の申し分無い現れにもかかわらず、あなたは自分の体をそのように経験できない。その原因は、恐怖や疑念や誤った期待が邪魔になっているということだ。病気など身体的不調は皆そうだ。

心をどのように構えればいいか。

体の実相を認め、体を感謝するように。また体を重んじるように。しかも、信用できない腹の黒い敵になりそうな物としてではなく、体を味方として扱うようにするのだ。この心構えを養いたまえ。




神の天地万物は仮初めの顕在ではない。すなわち天地万物は、神の眠りながら見ている夢ではない。だからいつかぱっと消えるようなものではない。同じくあなたの体も仮初めの顕在ではない。

以前にも言ったように、顕在していない神は存在しない。神が存在する証拠である天地万物がなければ、神が存在するはずがない。同じく、あなたが存在する証拠であり、あなたの顕現である体がなければ、霊であるあなたが存在するはずがない。

体はいつかなくなるか。

あなたは、自分を特定する要素が何もない境地に到達することはあり得ない。体はなくなるものではない。

だから、「おだぶつになると、体との付き合いがなくなるからさ、体をしばらく辛抱しよう」という心構えは誤っている。世を去っても体がなくなったりはしないぞ。

「いやはや、体から離れられなかったのか。辛抱するという扱い方は時間の無駄だったのか。よし、体が僕として完ぺきに現す意向を持つものなら、体をそのように認めて感謝することに真剣に取り掛かろう」とあなたは言わざるを得ない。

完ぺきに現れたこの「僕」とは、霊であり、あなたのうちに居られる神だ。言い換えれば、霊であるあなたは、そこに居られる神そのものだ。




あなたの体の意向は、霊であるあなたを完ぺきに現すことだが、この意向は天地万物が神を完ぺきに現す同一意向だ。これをしっかりと受け入れたまえ。そうすれば死ぬ運命にある肉体を辛抱するという無駄な苦汁を嘗めなくても済む。

そればかりか...

治癒や再生、完ぺきさ等を体験しようと期待して、体を快く受け入れるはずだ。治癒や再生、完ぺきさ等は、すべての人が一途に期待すべき事柄だ。

と言っても、じりじりしながら待つのではなく、自然のペースで根付くように快く許すべき。体が治ることを狙うよりは、治る理由を沈思黙考してほしい。

治る理由というと、体には神を完ぺきに現す意向がある。しかもこの意向は神に定められたものだ。




雲をつかむようないわゆる「積極的考え方」はどうだろう。

「毎日、あらゆる面で、わたしの体はどんどん良くなっていく」という自己暗示を繰り返すことができる。しかし、理由を知らなければ、それが絵に描いた餅にすぎないのだ。

いいかい?

そんな積極的考え方よりも、体の実相を沈思黙考したほうがいい。

「霊であるわたしはここに居られる神だ。体は霊であるわたしを識別されるものとして完ぺきに現すために、神によって定められたものだ」と。

まさにその通りだ。分かる?

「この身体的な問題は何の報いか」という問い掛けは時間の無駄だ。「おれはどこで間違ったんだろう?」、または「これは自分の霊的成長のためにどんな意味があるのか」等もそうだ。そんな架空の脇道にそれてはいけない。

自分の体の実相と意向を考慮して、その体への意識的な感謝を始めるべきだ。

いいかい?

言っておくけど、それをやれば、神秘的な治癒を体験しないことはあり得ない。

と言っても狙いは、治癒じゃなくて、心構えだ。なぜなら、わたしが説いたように心を構えている間、自分の心は神の意図に抵抗していないからだ。しかも、無意味で非合理的な思考で心が散乱されていないので、調和と安らぎを体験することになる。

いいね?




ワシントン州キングストン村
2001.03.03集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.04.16
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
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「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエス・キリストが明かす「神秘的な治癒を体験する方法」