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イエスキリスト著作のACIM(奇跡講座/奇跡のコース)解説など

ガンも消える?

イエスが明かす驚くべき秘法

Raj Gathering
質問者:あたしは(がん)だと診断されました。どうしたら治せるでしょうか。

ラージュ(=イエス・キリスト):セコンド・オピニオンを求めることを勧める。でも医師からではなく、あなたの内にある「真理の声」からだ。医師からの診断は、限られた知覚に基づいたものにすぎないので、信頼度が絶対的ではない。

鉛筆と紙を持ち合わせている?出してもらっていい?わたしが口述することを書き取ってもらいたい。書き取りたいほかの人も鉛筆と紙を出してもいいよ。

いいか?よーし。

「あたしは、、、自分の体が完璧に機能すべく、、、、不要の物を何でも、、、取り除いてもいい、、、という権限を、、、体自体に与える。、、、そして以前に、、、意識的に、、、、または無意識的に、、、与えた、、、それと食い違った権限を、、、、どれも、、取り消す。、、、」

いいか?じゃ、繰り返すから、正しく書き取れたか確認してみてね。

「あたしは、自分の体が完璧に機能すべく、不要の物を何でも、取り除いてもいいという権限を、体自体に与える。そして以前に意識的に、または無意識的に与えた、それと食い違った権限をどれも取り消す」とだ。

先ほど言ったように、人には神の天地創造を変える権限がない。今口述した言葉はそれと矛盾していない。

あなたの体の役割は、あなたの個人性の臨在を完璧に現すことだ。それはすでに定められている。口述した言葉は、神の天地創造を変えようとするものではなく、むしろ自分の考え方を体の役割と調和させるものだ。

それを明確にしておきたい。

「完璧に機能するために必要でない物を何でも取り除く権限を与える」とは、自分は自分の体に、それ自体の役割を果たすための許可を与えるということだ。「あたしは快く、自分の考え方を物事の実相の働きと調和させたい」と言っていると同じだ。

自分の体が完璧な状態で経験されるべきだ。

しかし自分の体に対する恐怖や憎しみなどが、その経験を妨げている。「以前に意識的に、または無意識的に与えた、それと食い違った権限をどれも取り消す」という言葉は、そんな妨げているものを取り消すものだ。

イエス・キリストの引用

あなたには、癌に対する自分の知識によって、また診断結果を伝えた医師の権威によって恐怖と懸念が起こされている。さらに、あなたはその恐怖と懸念をしぶとく活性化している。

そういうわけで、先ほどの権限を毎晩自分の体に与えることを勧めている。そうしてくれれば、あなたはその恐怖と懸念をしぶとく活性化するのをやめ、体は一方的に良くならざるを得ないように見えてくるのだ。

よろしいか。

あなたを審査した医師は、もっと悟ったとすれば、わたしが言ったようなことを語っているはずだ。それであなたから全く違う反応を引き出し、あなたの体から全く違う結果を可能にしたはずだ。

あなたの体は、神に定められた本来の形で存在する方法を忘れていない。

イエス・キリストの引用

神は天地というものとして現れるものだ。天地なしでは存在できない。ゆえにあなたの個人性も、現れないでは存在できない。あなたの個人性として具体的に現れるものは、あなたの体なのだ。

あなたは自分の体を永久に持つということは永久の事実だ。

そういうわけで、あなたの体は味方なんだ。なぜなら、あなたの体はあなたから離れられないもので、その役割はあなたの個人性を申し分なく現すことだからだ。文字通りに、レントゲン写真も疾患の気配を全く見せないことになる。

これは、病人を何とかいい気分にし、苦しみを何とか和らげようとする迷信じゃない。

ディーパック・チョプラ博士等も全面的に認めているように、身体は必ず健康を肯定するモードで機能するものだ。だから狂いが生じたら、身体が必ず自然に新たな形になり、健康的なものとして現れるものだ。身体が正常になる。

だから自分の体を怖がらなくてもいい。

あなたの体は、あなたとは別個の物ではない。しかも別個の物としてあなたに対してマイナスに働けるようなものではない。体を怖がると、体に腹を立て、体が味方だということを否定してしまうはめになる。

体は、個人性の臨在として完璧に現れる役割をもつものだ。それに照らして、体を味方として受け入れなければならない。

さて、そのアイデアをどうしても受け入れられないままで、あなたは世を去ったとしよう。真っ先に気付くことは、「おお、あたしはまだ生きているじゃないか」ということだ。



癌にはもうかかっていない。しかも二度とかかることはない。なぜなら、癌でお陀仏にならなかったことが分かってきたことになるからだ。もう癌を恐れることはないので、それにかかるきっかけも二度と訪れない。

そんなものがあなたを殺しかねない、または何らかの意味で変えかねないという信念から解放されたことになる。

さて、あなたが世を去るとは言っていないが、世を去ったらわたしの言ったことを認めることは避けられない。ならば、今思い切って認めちゃえばいいじゃねえのか。、、、わたしの言っている意味が分かる?

ほかの病気も同じだ。

奇形も同じだ。

ポール君《=P・タトル氏》は盲腸を取ってもらったことがある。なのに世を去ったら、その盲腸が依然として付いている状態になる。しかし世を去らないで、今その認識を取得すれば、健康な盲腸がまだ付いている状態にすることができる。

よろしいか。

草葉の陰で認識するなら、今学べちゃえばいいじゃないか。

、、、で、どうやって学べばいいか、説明しよう。

病気や奇形などは、自分の生まれながら持つ権利と矛盾する現象だ。そうした現象が現れるように見えたら、その本当の是正を経験するのには、意識が移らなければならない。だから自分の内に、意識が移るための環境を備えておく必要がある。

「学ぶ」と言ったのは、その環境を備えておくという意味だ。

イエス・キリストの引用

さて、あなたたち一人一人には、仲間たちが付き添っている。あなたたちは、ゆがんだ知覚で天国を経験しようと決めたときから、付き添われていないことはない。

聖霊もその仲間たちに加わっている。

聖霊とは、あなたがエゴで遊んでいる間に、あなたの保管された神性《=実相》にほかならない。あなたたち一人一人は、自分の中で、自意識の回りに柵を作り、「柵の内側だけが自分だ。外側は自分じゃない」と決め付けた。しかし、それでも外側が実際に消え去るわけがない。外側は聖霊のことであり、あなたの本当の正気だ。

あなたたちは自分の神性を取り除くことができない。

聖霊は、全く神性なものであり、あなたをあなたの全体性と再結合する意向をもっている。だからあなたの自意識の周りに作られた柵を絶えず崩そうと働いている。



そういうわけであなたは、この聖霊に付き添われていないことがないということに気付ければ、聖霊に助けを求め、その助けが必ず経験されることを発見する。しかも半信半疑で容認するとしてもだ。

さて、あなたたち一人一人には、それぞれ一人のガイドも付き添っている。

ガイドは、「この生涯」とあなたが呼ぶ現象の中であなたが受胎された途端に、あなたに付き添うように任務を受けている。あなたが助けを求めたくなるときに備えて、即座に対応ができるように待機している。

すべてのガイドは完全に目覚めている個人性だ。

ガイドのほかには、あなたのために、ガイドと共同する複数の目覚めた個人性もいる。その個人性たちが関わっていることは、体に対するもやもやした知覚をはっきりさせること、つまり治癒だ。もっといい言い回しがないので、ポール君はその個人性たちのことを「ヒーリング・チーム」と呼ぶことにした。

さて、あなたはガイドとの双方向のコミュニケーションができていなくても、ガイドに向かって言うことは何でも、ガイドにはちゃんと聞こえる。だから夜、寝るときに、あなたが眠っている間にヒーリング・チームが例の問題に取り組むように、ガイドに頼めばいい。

そして最大限の治癒力をもって問題に取り組む権限をヒーリング・チームに与えることを勧める。

ヒーリング・チームが最大限の再生健康を出し惜しんでいるわけではない。

しかしヒーリング・チームは、治癒に対するあなたの抵抗する意志を踏みにじることができない。そういうわけで、権限を与えることは、「あたしはそれを要求している」と言っていると同じことで、最大限の再生健康に対するあなたの抵抗を下げる効果をもたらすのだ。

よろしいか。

あなたたち一人一人は、怪力を持つその仲間たちに付き添われているということは本当だ。彼らはあなたを助けたいと望んでいる。だからあなたには、そうさせてやる気持ちが少しでもあれば、あなたを助けてくれる。

そういうわけで、夜、床についたときに、先ほど書き留めた権限の言葉を述べたら、ガイドに頼んで、ヒーリング・チームが例の問題に取り組むようにしてもらうことは、わたしの勧めることだ。

そしてやりたければ、時々セコンド・オピニオンを求めることも勧める。

セコンド・オピニオンを求めるのには、座ったりして、心の中で比較的静かになるように時間を取り、瞑想することだ。本格的な瞑想でなくてもいい。瞑想してから、「あの先生の診断は当たっていますか。信じていいですか」と聞けばいい。



質問してから答えに耳を傾けることだ。これは、聖霊と目覚めた個人性があなたに付き添っているということを経験するためにだ。

よろしいか。

医者の診断が間違っていると確信していても、その確信だけを頼りにしないで聖霊または目覚めた個人性に質問すべきだ。質問しないでは、自分のことが単独じゃないということを経験する機会が得られないからだ。

よろしいか。

目覚めるためには、一歩ごとに、自分のことが単独じゃないという自覚がさらにはっきりしてくるものだ。目覚めは、自分が付き添われているという発見が必ず伴うことだ。

単独性が徐々に解消される経験だ。

先ほど言ったように、あなたたち一人一人は、自分自身のことを全同胞から分離された単独の存在だという妄想にふけっている。そして恐怖というものが、人生の実際の要素として登場するように見えるのは、その妄想の中にだけだということだ。

そういうわけで、自分の内側で、目覚めた個人性に質問して賢明な答えを得ることが大切だ。

そうする機会を多ければ多いほどつかむべきだ。なぜなら答えだけではなく、自分のことが単独じゃないという確認も得るからだ。その確認を得ると、自分と他人の身体の経験を左右しがちな恐怖は全体的に減るのだ。

よろしいか。




スコットランド国インヴァネス市
1996集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.06.30
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
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「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
ガンも消える?イエス・キリストが明かす驚くべき秘法」