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イエス・キリストが明かす

瞑想法 ―その1:マントラ

Raj Gathering
質問者:瞑想法についてお聞きしたいんです。自分にとっては、心を静めることが難しい。3秒間ぐらいはできますが、ほかのことがぽかりと心に浮かんでしまうのです。自分が知らずに進歩しているということも考えられます。しかし良いマントラがあれば助かるのではないかなと考えています。ラージュさんから良いマントラをいただけませんでしょうか。

ラージュ(=イエス・キリスト):2シラブルでできた言葉を勧める。マントラとしてRajpur(ウアージュ・ポゥウ)を使いなさい。この言葉を繰り返しているうちには意味を観察するんじゃないぞ。言葉自体が観察の対象とするのだ。心の中で響く言葉の音が注意を向ける対象とすれば良い。《翻訳者注:「Rajpur(ウアージュ・ポゥウ)」=ラージュさんの省略されていない名前》

質問者:ありがとうございます。

ラージュ:どういたしまして。瞑想というのは、「うまくできる」というようなことだと考えてはならない。というのは、瞑想は「やる」ということとは逆で、「『やる』ということのないこと」なのだ。瞑想した後、「やりとげたぜ」と言えるようなことではない。瞑想はやるということのないことなのだ。

20分間、うまくできたかどうかという判断とは関係なく、唇も声も使わずに「ウアージュ・ポゥウ」を心の中で繰り返して繰り返して言ってみるとよい。瞑想中に、一流れの考え事が心に浮かんで来たら「おや、マントラを繰り返しているべきなのに考え事にふけってしまったのだ」と気付いたら、意識をマントラに戻すのだ。

毎回20分間で行なうという習慣を付ければ、20分間マントラを繰り返すのをずっと忘れないでできるようになるはずだ。そして、うまくできたと思っても思わなくても、瞑想後、自分の体験している平穏が段々増加するということにも気付く。

そうしたら、「自分は気が散っていて、静けさに達することができなかった。なのに心境が変わった。何でだろう。分からないな」とか言うだろう。

それは瞑想が効果をもたらしたからだ。




瞑想は、自分の思ったようなことではなかったのだ。自分の心を制御するということではない。むしろ何回ぐらついてもぐらついても持ち続ける決心のことだ。

自分が物事を担当しようとしない時間を過ごそうという決心はいいことだ。そしてそれをうまくやり遂げようとするということが次第に重要でなくなるということもいいことだ。そのおかげで、瞑想もその深みも以前より意味深いということに気がつくはずだ。

そして「どうやってできたのか自分には分からない」と依然として言う。

うまくできるようになったということは、「やる」ということをしなかったということのおかげだと気づき始めるはずだ。「『やる』ということをしない」ということのおかげだ。分かる?

必要なのは粘り強さ――激しくない穏やかな粘り強さだ。先ほど言ったように、いつか、20分間ずっとマントラから離れなくなるようになるはずだ。

瞑想の20分のうちにマントラを言うのを忘れることもある。なのにマントラを言わなかった隙間に、ほかに何もやっていないということに気付くはずだ。静けさがあった。が、それも目的でもない。そんなことがあると言っているだけ。それがいい線いっているという印だ。

瞑想に肝心なのは、どんな形式でも自分の意志を現していない心境に自分自身を連れて行くということだ。なぜなら、自分の意志がない心境に、神の意志がぴんと来る可能性があるからだ。

手に何も持っていないようなことだ。

するとどうだろう。手には、自分の最も良い判断もなく、うまくやって目的を達成しようという試みもなければ、どうなるのか。自分が物事を操ろうとするということのない場所である空っぽの空間には、実在するすべてが、自然に、水のように、流れ込むような状態になるのだ。

そしたら「驚くべき新事実が心に浮かんできた」とあなたは言う。

「物事を新しい観点から見ている。無知のために苦しんでいたがその無知が治った」とも言う。その無知は、治るまでに、苦しみの原因だったということに気付かなかったこともある。よろしいか。

イエス・キリストの引用


あのね、瞑想は「御意(みこころ)の成らんことを願ふ」という聖句の実用化されたことだとも言える。なぜなら、「我が(こころ)にあらずして」という聖句の実行されたことだからだ。

よろしいか。だからどれほどうまく瞑想をやっているかと評価しようとするのを止めなさい。なぜなら、どれほどうまく「やっている」かということは無意味だからだ。そうしたら瞑想は、自分の意志にもかかわらず、効果をもたらすはずだ。

いいかい?これは諸君の一人一人にも当て嵌まることだ。




ワシントン州キングストン村
1997.10.19集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2009.04.29
英語原文
目次

K・ヤマダ訳
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「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエス・キリストが明かす「瞑想法 ―その1:マントラ」