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イエス・キリストが明かす

ヒトの驚くべき実相

(天国の門を開けるカギ)

Raj Gathering
質問者: ヒトという生き物は何でしょうか。動物から進化したという説があります。また、ヒトは元々高レベルのエネルギーだったが、物質的な形になるまでだんだん圧縮したという説もあります。それについて語っていただけませんか。

ラージュ(=イエス・キリスト):はっきりさせておこう。あなたたちの科学者たちは、あなたたちの惑星にある生命の形成にも、地勢の形成にも、ある基本的な原形質がかかわっていたと推測している。ところが人類は、全体的には、その原形質から進化したのではない。

進化してきた人は一人もいない。

あなたたちも、あなたたちの宇宙も、進化の産物ではない。

あなたたちの宇宙が「天」と呼ばれるということは決して偶然ではない。

宇宙は天国そのものなのだ。第三次元《=現象界》の範囲内の視点から見た天国だよ。とはいうものの、この視点から見ることは、いわばレンズを通して見ることだ。このレンズのことを「エゴ範囲内での知覚」だとわたしが説明してきた。

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あなたたちは、エゴ範囲内でのこの取るに足りない知覚を手放さなければならない。そして自分の存在という運動、すなわち自分の中心部を活用し始めなければならない。そうすれば、あなたたちの宇宙の実相がくっきりと見えてくる。

そこで、あなたたちの科学者たちの推測が正しくないということが明確になってくる。その科学者たちはエゴの範囲内から見ているからだ。

宇宙が存在するのは進化のおかげではない。

宇宙は天国そのものだから存在するのだ。もっともあなたたちにとっては、「鏡をもて見るごとく見るところ(おぼろ)なり」《コリント(びと)への(まえ)(ふみ)13:12》ということになっている。

肝心なのは、万物をおぼろに見えるようにする「鏡」を取り除くことだ。その鏡とは自我のことだ。自我はちっぽけなものだ。あなたのことが自分の足・腕・手・胴・首が占めている空間だけだと決め付けている。

ところがあなたの存在は、人間(oo)としての運動ではなく、意識(oo)としての運動なのだ。だからあなたには万物および宇宙との一体性がある。

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人間というのは、心を持つ五官付き肉体だ。言い換えれば、人間としての自分のアイデンティティは形になっている肉体そのものになっている。一方、自分のことを意識としての運動だと見なし始めれば、自分のアイデンティティは自分の心そのものになる。

あなたは純然たる心だ。

それはどういう意味だろうか。神の無限の心は、形というものを意識的に経験している。しかもこうした意識的な経験を一から十まで包含している。そしてあなたは神の無限の心の臨在そのものだということだ。

そう、あなたは意識的な経験を一から十まで包含しているのだ。

別の言葉で言えば、あなたは何から何まで一切のもの、つまり宇宙を包含している。あなたはその通りに限りがなく、壮大なのだ。自分のアイデンティティを正しく見なせれば、その事実は益々明確になる。

自分のアイデンティティは肉体でもなく、肉体の中に一時的に滞在しているものでもない。

自分のアイデンティティは存在という運動の意識的な経験だ。しかもその経験にはあなたは一点の責任もない。なのにそれが連綿と行われ続ける。その経験の極限に触ることができない。しかもその極限を見ることも、感じることもできない。

「感じることができない」というのがカギだ。

極限が感じられないなら、感じられるのはその無限性だけだ。あなたはその無限性という感じと接触しなければならない。




では、日が暮れたら外に出て、空にある最も薄暗い星を眺めろ。それが鮮やかに光り輝く星より遠いということは分かるはずだ。なのに、意識的には一瞬にしてそれを視的に包含したことになる。

その星は、あなたの人間としてではなく、あなたの意識としての存在という運動の無限性にある。つまりあなたの一部だ。意識的な経験として、あなたの中に包含されているのだ。

それはどういう意味なのか。今のところでは完全に把握しなくても気にしなくてもいい。ただ、そのアイデアで快く遊べばいい。

遊ぶというのは、ベビーベッドで幼児がガラガラやブロックで遊ぶようにするということだ。幼児はおもちゃが理解できなくてもそれが楽しめる。幼児にとっておもちゃで遊ぶことは新規の経験だからだ。

それと同じ要領で、自分の無限性が自分の意識的な存在という運動だというアイデアで遊べばいい。

昔は、神のことが天国の王座に就いている白髪のじいさんだと思われていた。しかしその時代はとっくに過ぎ去った。現代では、人間の物質的な立場から見ても、神のことが無限の知性だと考えられるようになってきた。宇宙の秩序に行き渡る無限の知性だ。しかも宇宙の秩序を構成する無限の知性だ。

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また、神のことが愛だと考えることも可能になってきた。実相の愛だ。すなわち遮られない、分割されえない、完全かつ神聖な愛だ。

かつまた、神のことが原理だと考えることも可能になってきた。人間が定めた原理、または物理的原理を超えたまことの原理だ。

「…のみこと」や「…大御神」などを神の名に付けても、人は神のことをあたかももう一人の人間のように見なしていた。でもそれは過ぎ去った時代のことだ。現代では、神のことが人間の形を超えた存在だと考えられるようになってきた。

あなたたちは新しい時代に入っている。命や真理・愛・原理・知性などの無限の臨在があなたたち一人一人の実相として表現されているということを、せめて半信半疑でも受け入れられるようになってきた。

あなたたちは神のアイデンティティをもう肉体として見なしていない。それで自分たちのアイデンティティをも肉体として見なさないことも可能になってきた。

これで目覚めるのには、お膳立てがそろっている。

あなたたちは無限で意識的な存在という運動だ。無限という立場から見れば、あなたたちの体は一切合財の形で構成されている。あなたたちはフィーリングでそれを経験するようになる。




では、把握しづらい話をここまでにして、自分たちの今の立場に戻ろう。

具体的にどうすればいいだろう。先ず今のままで、自分自身を良いと認めて感謝することだ。自分の体を、神性な存在として評価して感謝することから始まる。

神は途切れることなく、自らを表現している。意識のある人間の個人性としても表現している。あなたの体は神の臨在を、何が何でも現そうとしているものだ。視覚的にもだ。触覚的にもだ。しかも神が自らを表現している通りにだ。

だから体が神性な存在なのだ。

許しの出番だ。

では、許しとは何だろう。自分の欠点を大目に見、それを気にしないでいられるようになることではない。許しとは、まさに自分自身に対する判決を快く取り除くことだ。そして自分の神性な実相に対する意識を快く受け入れることだ。

あなたたち一人一人の実相は罪がなく、潔白な、完璧な存在なのだ。

あなたたちが「罪深い」と見なされる行為をやっている唯一の理由は、分かる?それは、あなたたちがすねに傷を持っていると思い込んでいることで、防衛的になっているということだ。

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すねの傷という罪悪感を手放してもいい。邪悪な戦争狂や鬼ばばなどに化けやしないよ。

自分自身を尊重することだ。

どんなささいなことでも自分自身をとがめるのをやめるべきだ。そうすれば身が軽くなるので、自分の本性に逆らいたくなくなる。しかも、もう、苦しい内的な不一致を呼び戻すように行動しない。

自分自身を良いと認めて感謝すれば、自分の存在という運動の根本的な喜びが湧き出るものだ。

この喜びは飽きられない極楽気分だ。

この喜びを浴びるといろいろと見抜けるようになる。あなたの意識の中にしつこく染み付いた性向も馬脚を現してくる。あなたは次のように言う。

「あんなものと関わらないでおこう。苦しみから解放されたことは極楽気分だ。だからあれをもう活性化しない。あれの化けの皮がはがれてしまったんだ」とだ。

あなたたちの中には馬鹿が一人もいない。

あなたたちは、気持ちのいいことが認識できる。また、愛という感じが認識できる。しかも、あなたたち一人一人には真理を認識する能力が備わっている。それをしっかりと肝に銘じたまえ。

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あなたたちは真理を認識するのに値しないと思い込んでいるが、その思い込みのもたらした結果が分かるかい?あなたたちが取るに足りなくなるとどのつまり、試しにも、真理を認識する能力に信頼を置こうともしなくなるのだ。まったくだよ。

ところが真理を認識する能力を失うことは不可能だ。

次の3点をあなたたち一人一人に勧める。

一つ目は、真理を知る能力に信頼を置き始めることだ。

二つ目は、真理に従って思い切って行動することだ。

三つ目は、何が真理かを決める権限を、もう誰にも譲る必要がないので、そうした必要があると感じるのをやめることだ。

わたしにも譲ってはならないぞ。真理を自分自身で知らなければ天国に入るわけがないからだ。

もっとも天国に入る必要はない。あなたたちはすでに天国のど真ん中にいるからだ。あなたたちは既に、自分たちの神性な実相のままなのだ。

思い切って自分自身に信頼を置くべきだ。

思い切って自分の内部に沈み、最も深いレベルでの認識に注意を払うべきだ。

思い切って自分自身を愛すべきだ。

思い切って自責をやめるべきだ。

思い切って喜びをもう少し、愛をもう少し、幸せをもう少し、そして光をもう少し人生の中に入ってくるように、抵抗をやめるべきだ。




その上、自分の神性が必ず日に日にもう少し現れてくると期待すべきだ。あなたは根本的かつ完全に神性な存在だからだ。

一方、断ってもいい。また、自分の神性が現れてくるのを逃してもいい。しょんぼりと座り込み、自分の不足を正当化してもいい。わたしのことを大ぼらふきだと言い張ってもいい。しかしそうしたら、依然として、あなたの言う通りになる。

なぜなら実際に、権限はあなたから取り上げられないからだ。

あなたは天国の門を開けるカギをずっと握っていた。実相世界を歪みなしに経験するためのカギは、ずっとあなたの手中にあったのだ。




ニュージャージー州リビングストン地区
1986年集会の抜粋
チャネラー:P・タトル
英日翻訳者:K・ヤマダ
翻訳文改訂:2011.04.16
英語原文
目次
K・ヤマダ訳
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acim.jp
「私はクリスチャンではない」等イエス・キリストの引用
A Course In Miracles
「イエス・キリストは語る」
イエスキリストがヒトの実相を明かし、真理を認識する方法を教える